生き埋めにされたセリアズは故郷の弟のもとに還ることを想像している。
そして夜、月明かりの中、瀕死のセリアズのもとにヨノイが現れる。
見張りの兵たちを去らせると、ヨノイはそっとセリアズに近づき、ポケットからナイフを取り出す。
そして、ひざまずくと、セリアズの髪をひと房切り取る。
その間セリアズの目は虚ろで、もう今にも事切れそうだ。
ヨノイの仕草は非常に丁寧で、ゆったりとしており、2日前に怒号を飛ばして捕虜全員を整列させて病人を突き飛ばしていた彼本人とは別人のようだ。
セリアズの髪を大事そうに紙に包んでポケットに仕舞うと、身を正し、セリアズの正面に立って、最敬礼をする。
そして、ひらりと身を翻して立ち去る。
その瞬間、セリアズは亡くなっている。
彼の額には1匹の蛾が止まっている。
BGM “Sowing the seed”(種を蒔く)が流れている。最もジーンとくるシーンである。
セリアズの遺髪は、ヨノイにとってのセリアズのたましいそのものだ。
だから、髪を切り取った直後にセリアズは息を引き取ったのだろう。
また、ヨノイの心に種が撒かれたのをセリアズは知り、安心してこの世を去った、とも思われる。
額の蛾はまるでセリアズのたましいが移ったかのようである。
<原作>
ナイフではなくハサミを使っている。それ以外のシーンの描写は全く同じ。
原作の「わたし」(主人公)は見張りの日本兵からこの話を聞いたと語っている。
(原作より)
ちょうど満月の頃で、閲兵場はその光に照らされていた。午前3時、見張りは仰天した。ヨノイの瀟洒な姿が囲いのところに現れて、衛兵を門の方へ遠ざける。一瞬、亡霊かと思ったという。この男も、ヨノイが数日前ハラキリをしたと信じていた一人だったのだ。(※原作では、キス事件のあとヨノイの姿が消えたので部下たちも捕虜たちもヨノイが切腹したと思っていた。)が、まぎれもなくヨノイだ。歩き方といい、体格といい、見間違えようがない。
セリエの前に立ってしばらく黙って見つめていたヨノイは、やおらポケットに手を入れると、なにやら取り出した。(中略)見張りの証言では、それは鋏だった。ヨノイはセリエのうえに身をかがめて、長い髪を手にとると、それを切り取った……。
(中略)
それからまたしばらくヨノイはそこで黙想してから、セリエに向かって深々と一礼した。天皇の生誕の日に、昇る朝日に向かってするのと同じだったという。それがすむと、彼はゆっくりと門まで歩き、衛兵を呼び戻した。ヨノイの姿を見たのはそれが最期だった。
(「影の獄にて」237ページより)