ラストシーン

ラストのシーン、ハラの「メリークリスマス、ミスターローレンス!」には、彼を今度は救ってくれという意味があるのではという見解をいくつか目にしたが、原作を読んだ限りではハラは命乞いの意味で言ったのではない。

ハラはすでに「17のときにお国に命を捧げた」と語っているし、すでに剃髪し、「覚悟はできています」とローレンスに語る。彼はこの期に及んで命を助けて欲しいとは思っていないのではないだろうか。(ただし、自分のしたことが他の日本兵とどう違ったのか、という点で、彼は自分の処刑に疑問を感じている。)
→このページの最下部にハラの覚悟に関する原作の記述を引用する。

彼の最後の「メリークリスマス、ミスターローレンス!」には、ふたつの意味を感じる。

ひとつはその言葉によって、「今度は貴方が私を救ってくれましたね、ありがとう」という意味。
この「救う」は、命ではなく、彼の魂だろう。
日本人は「死んでも魂は還る」と信じている。故郷に、家族のもとに、還ると信じている。
死に瀕している自分の魂を、きっと正しく還れるように導きに来てくれた、そういうプレゼントを持って現れた、それが処刑の前夜に現れた懐かしいローレンスなのだ。
つまり、いまローレンスは彼にとってサンタクロース(=救いの象徴)そのものなのである。(ヨノイがセリアズの死に際に髪を切り取り=魂を救って去ったのも同義と考えられる。)
ローレンスはハラにこう言って別れを告げる。「God bless you.」神が貴方とともにありますように。日本人のハラにキリストのご加護を祈るローレンスの気持ちは、やはり救いなのだと思う。

もうひとつの意味は、素直にローレンスに会えた喜びから、思い出のあの言葉を投げかけたのだろうと思う。
牢を去ろうとするローレンスに向かって、ハラは昔の自分の言葉で呼びかける。「ろぉれんす!」恫喝するような、あの呼び声である。
一種の驚きとともに振り向いたローレンスに、ハラがあの言葉を投げかける。
「メリークリスマス、ミスターローレンス!」
そこには真っさらで、無垢な、単に旧友に会えた喜びを含んだような思いが乗っているように聞こえる。

目の奥に涙を浮かべたハラの無邪気な笑顔のどアップで映画は終わる。
ここに落涙するのは観ている私達だけでなく、多分映っていないローレンスもまた、同じはずである。
ローレンスはこの後どういう言動を取っただろう?映画を見た後の私の想像では、涙を堪えながらハラに頷いて、そのまま牢を出たのではないだろうかと思う。

→原作では、その直後のローレンスの思いが描かれている。

(原作より)
あまりにも心を動かされた彼は、思わずもう一度、独房のなかに戻ってゆきたい衝動にかられた。実際、彼は行こうとしかけたのだが、なにかが、彼を押しとどめてゆかせなかった。(中略)
行ってハラをしっかりと腕に抱き、額に別れのくちづけをし、そして、こう言いたかった。
「外の大きな世界の、がんこな昔ながらの悪行をやめさせたり、なくさせたりすることは、ぼくら二人ではできないだろう。だが、君とぼくの間には、悪は訪れることがあるまい。これからゆく未知の国を歩む君にも、不完全な悩みの地平をあいかわらず歩むぼくにも。二人のあいだでは、いっさいの個人の、わたくしの悪も帳消しにしようではないか。個人や、わたくしのいきがかりは忘れて、動も反動も起こらないようにしよう。こうして、現在に共通の無理解と誤解、憎悪と復讐が、これ以上広まらないようにしようではないか」と。
しかし(中略)疑りぶかい、油断ない看守につき添われたまま、扉の敷居に立ち尽くして、ついに彼をハラのところに走らせなかったのだ。こうして、ハラとその黄金の微笑には、これを最後と、扉が閉ざされてしまった。

(中略。この後、後悔の気持ちでいっぱいになったローレンスは、急いで車を返し、朝日が昇るのとともに刑務所まで戻った。)

「だが、むろん、手おくれだった」とロレンスは、恐ろしい落胆ぶりをみせて、わたしに言うのだった。「ハラはすでに絞首されていたよ」

原作では別れの後のローレンスの気持ちがよく描写されている。これを読むと、ますます映画のラストシーンが涙なしには見られないものになる。

→また、原作ではハラの戦犯裁判の法廷での様子が描かれている。それによると、ハラは命乞いなどしておらず、死ぬのを待っていましたと言わんばかりの堂々たる姿勢で臨んでいるのがわかる。

(原作より)
ロレンスは言った。
「結局、ハラは裁判のはじめから、自分は有罪だと申し立てていたのだ。(中略)『わたしは、わたしのところの人たちにまちがったことをしました。いつでも死にます!』と言ったんだ。自分の義務を可もなく不可もなく果たしただけだ、と言ったほかは、なにひとつ弁解がましいことを言わなかった。(中略)こうなることをいっさい彼は予見していたんだよ」
(中略)
ハラは戦場に出た以上、なにかの形の死のほかは、なにも予期していなかったのだ、と説明した。(中略)たぶん、ハラは死をあこがれてさえいたという。
(中略)
ロレンスは、日本に滞在していたころ、すでに日本人は、ある深い錯到した、逆の、変質的とさえいえる意味で、生きることよりは死を愛する人たちであると、いつも感じていた。(中略)死と自滅を美化していた。
(「影の獄にて」より)

ローレンスはハラのために「ふぁーぜる・くりすます」の話をして命を救おうとするが、それは聞き入れられなかった。
「大勢の人たちがこの被告の行為の結果として一命を奪われたのだから」という理由で却下され、ロレンスは「だめだ、もう打つべき手は何もないことは明らかだった」と愕然としている。