キスシーン

★有名なキスシーン…
イタリアの巨匠、ベルナルド・ベルトルッチ監督が「映画史上最も美しいキスシーン」と絶賛したあのシーンである。
このシーンは感動的なラストシーンとともに、観た者を作品に釘付けにし、鑑賞後の余韻の中に深く印象付ける強烈なインパクトを持ったシーンである。

ヒックスリ捕虜長の処刑を邪魔しに来たセリアズを前に、ヨノイは驚愕とともに、恐怖する。
これ以上近づかないでくれ、という思いを込めて、「go back, go back!(戻れ)」と叫ぶ。
これ以上のことをしたら、私は君を処刑しなくてはならない、それだけはしたくないという気持ちが奥底にあるからだ。
しかも、日本兵だけでなく、捕虜全員が揃っている目の前である。
くしくも、病人も含めて全員を目の前に整列させたのはヨノイ本人なのだ。
ひとり残らず証人が目の前にいるのに、彼はセリアズを処刑しなくてはならなくなる。
その状況だけは避けたい、という願いも虚しく、セリアズはヨノイを抱き寄せ両頬にキスをする。
その瞬間、彼の願いは打ち砕かれた。

このキスシーンは、どんな武器よりも強いのは愛を示すことだと教えてくれる。
セリアズの最強のキスの上に、日本刀は歯が立たない。ヨノイは刀を振りかざすものの、彼の心はセリアズのキスによって打ち砕かれ、彼は刀を握り締めたまま崩れ落ちる。

このシーンを表面的に見ると、セリアズはヒックスリを助けるために無謀な策に出た。ヨノイが自分を憎く思ってはいないことを知っているからキスでノックアウトした。……だけのようにも見える。(私の十代のころの初見時は、こんなものでした(笑))
でも、彼はそういう無策をするような人間ではない。「掃討のセリアズ」と呼ばれたような男だ。
そうではなくて、表面的な行動ではなくて、彼の心の中にあるものを見出さなくてはこのキスシーンの本当の意味が薄れてしまうと思う。

セリアズは、ヨノイが絨毯を差し入れてくれるような人物であることを知っている。
敵である日本人も人間の心があるんだということを知っている。
前日のクリスマスイブの晩、ローレンスが「私は個々の日本人を嫌いたくはない」と言ったとき、セリアズは「Yes」と答えている。そのことからも伺える。

だから、彼はヨノイに対して「こんなこと(病人を手荒く扱ったり無意味な理由で大佐を処刑)はやめろ。君は本来そんな人間じゃないはずだ。私は知っている」と無言で訴え、それをキスで表したのではないだろうか。
キスは、このとき「一個人としてヨノイに親愛の情を伝える」ためでもあり、また「人間としての本来の心を失っているヨノイを許す」ためでもあったのだと思う。同時に、セリアズ自身の過去(弟との辛い思い出)をも許すという意味が含まれているように見える。
(「親愛の情」については、セリアズとヨノイの親愛の情に関する記事に後述する。)

私はこのシーンに「救い」と「許し」を大きく感じる。そして、それはヨノイの心に確かに届いたのだ。その証拠に、ヨノイは処刑されたセリアズの髪の毛を切り取りに来る。これは明らかにキスに対するヨノイからの返礼でもある。

4年後、ハラとローレンスの再会のとき、ローレンスはセリアズのキスのことを「セリアズはヨノイ大尉の心に種を撒いた」と語っている。

原作では、セリエがヨノイにキスをする前に、すでにあの世の人間であるかのように遠くを見つめ、「歌が聞こえる」と「わたし」に話している。その歌とは弟の歌だった。またずっとのちに「わたし」がセリエの弟の妻を訪ねて話を聞いたところ、弟はあるとき「ああ、兄さんのことが心配になった」と泣き出して、あの歌をしばらく歌い続け、そしてある日を境にぷっつり歌わなくなったという。ちょうど遠い異国の地で兄が事件を起こし処刑される頃ではなかったかと回想する場面がある。
(映画ではセリアズの弟は「もう歌うことはなかった」とされ、その後の人生は見えない。セリアズが死ぬ間際に弟の待つ花咲く庭の夢を見たことから、死んだのではないかと想像させるが、原作では弟は成人して妻を娶り、兄の帰りを待っている。)

また、ヨノイが病棟からの病傷兵たちも連れて来いと憤っているとき、セリエは「わたし」に下記のように話しかけている。

<原作>
彼(セリエ)は低い声でこう言ったのだ。ヨノイがあんなことをやっているのも、自分に期待されていることを実現しているだけだよ、われわれと同じだ、と。
そして、ヨノイに思いがけないことをぶつけてみる以外に、ヨノイやその部下やわれわれを救う途はない。ただあの男の正反対を言っても、役に立たないだろう。それでは、互いに腕を組みあったまま、魂のなかで溺死するというだけのことでね、とつけ加えたのである。
(「影の獄にて」思索社 226ページより)

思いがけないこととはもちろんその後に起こす「キス」のことであり、セリエはそれによってヨノイとその部下、そして捕虜たち全員を救おうとしていたことが伺える。

そしてそのキスの直前、セリエは「わたし」に「ぼくが(ヒックスリの処刑を)止めてみせる。大丈夫。どんなことが起こっても、ぼくのことで手だしはせんでくれ。いいか。絶対に。さよなら」と告げている。

ヨノイが、目の前に歩いてくるセリエを見た瞬間の描写はこうである。

<原作>
正面衝突のショックにも似た驚きが彼の体を走った。まさかとばかりに呆然とセリエを睨む顔が、さっと青ざめた。セリエと自分との得体の知れない一体性ゆえに、ここ数日来はじめて、彼は自分の外部にいる何者かを見ることを、余儀なくされたのだ。驚きはやがて驚倒に代わり、彼は英語で命令を怒鳴った。「きさま、将校、もどれ、もどれ、もどれ!」それは懇願ですらあった。
(「影の獄にて」思索社 228ページより)

映画ではこの後ヨノイに突き飛ばされたセリアズがヨロヨロとヨノイの元に近づいて突然肩を抱き寄せるわけだが、実は原作ではその直前、セリエはヨノイに何か話しかけていたようだ。ただ、何と言ったのかはヨノイにも聞き取れず、とにかく恐怖の面持ちで「もどれ、もどれ!」とセリエに向かって怒鳴ったと表されている。

問題のキスシーンの様子を、原作で読んでみよう。

<原作>
彼は二、三歩ヨノイのほうに戻ると、両手で腕を掴み、フランスの将軍が兵士の勇気を称えたあとでそうするように、両頬に頬ずりしたのである。

この奇怪な行動の衝撃は、想像を絶していた。ヨノイは別として、誰のうけた衝撃がもっとも大きかったろうか。日本兵か、われわれか。
(中略)
ヨノイの心中がいかなるものであったか、もちろん知るよしもない。しかしわたしの知るかぎり初めて、常に敏捷で、いかなる状況も適確に掌握してきたヨノイが、なにをなすべきか見失ってしまったのである。雷にうたれたかのようであった。
(「影の獄にて」思索社 229〜230ページより)

原作を読んだ上で再度このシーンを観ると、大島監督は原作通りに、そしてとても繊細なカメラワークで見事に撮ったものだと実感できる。

この「キス」のことを聞いたロレンスは、「わたし」にこう解釈している。
(※前述の通り、原作ではロレンスはキス事件を戦後になって「わたし」から聞いて知る。)

<原作>
君にはわかるか?ヨノイをそういう目にあわせることによって、セリエは、君たちと日本兵を宿命的に縛りつけていたなにかから、それがなんであるとしてもだよ、君たち双方を解放したのだ。君たちは同じものの片割れだった。ひそかに相手によりかかった二つの対立項だった。同じように相手をひきつける二つの電極だった。そこへセリエが登場して、ギャップに橋を渡して、宿命的な重荷をはずした。
(「影の獄にて」思索社 231ページより)